3月28日 水曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
死 者 老 い ず
悲しい死別も、時間(トキ)の流れと共に、また違った感慨に変わる。
勝俣部長の母親は、52才で他界した。
20才ちょうどの時だったから、既に50年近く前になる。
どういう因果か、カミさんも48才の若さで他界してしまった。
存命なら、66才、・・・・今、思うと、いよいよ口惜しい。
母親も、カミさんも、・・・・贔屓目に見なくても(甘く見なくても)、いい面しか出て来ない。
多分、若くして亡くなってしまったからであろう。
もし母親が、今も100才近い年齢を引っ提げて、生活していたら、その思考と行動に、相当辟易しているに違い無い。
カミさんにしても、いよいよ「アラ」を、出し始めていたかも知れない。
好感も辟易感も、人間だから、極めて当たり前の、人間的事象であるが、二人とも、お若い他界で、救われた、とも言える。
そればかりか、お二人とも、52才と48才のまま、ちっとも老けない。
若く美しいまま、我が脳裏に焼き付いている。
時間は有難い、・・・・確かに、人々を「老いぼれ」に向かわせるが、死ぬほど辛かった悲しみを、安らぎの感慨に昇華させてくれるのだから、・・・・。
死者老いず 生者老い行く 恨みかな(菊池寛)
つづく。