勝俣部長の「ため息」1238・・・・本当の 話し

6月7日 土曜日

                                                   
                                                         (奈良県天理市」)



     好き勝手に 言いたい放題
先の事を考える のは 難しい  


 勝俣部長、・・・・の住む集合住宅は、当時の募集パンフレットを見れば、
  ・入居予定 昭和49年7月下旬頃
とある(私自身は中古住宅として昭和58年から入居)。
 昭和49年は、・・・・1974年だから、既に40年も前の事になる。
 当時世相は、「オイルショック」に見舞われていた。
 トイレットペーパー騒ぎを見るように、省エネ、省エネが、絶叫的に叫ばれていた。
 その省エネ騒動は、我々の高層住宅建設にも押し寄せたようだ。
 その結果、15階建ての我が建物のエレベーターは3基が並ぶが、3基とも、
  ・1階、4階、7階、10階、13階、15階
の6カ所しか止まらない。
  (勝俣部長 幸いにも停止階の13階)
 じゃ、止まらない階の人はどうなるかと言うと、例えば11階に住む人は、
  ・10階で下りて階段を上がるか
  ・上がるのが嫌なら 13階で下りて 2つ下がる
かになる。
 それでも当時は、誰も文句は言わず、ニコニコと。
 将来自分が陥るハメは、微塵も考えられず。
 敢えて言えば、社会に流される形で、「省エネ称賛」してたかも知れない。
 以来40年が経ってしまった。
 当時30才の青年は、70才のオッチャンからお爺さんに・・・・。
 当時40才の色気漂うおばちゃんは 喰気だけ残す80才のおばあちゃんに、・・・・。
  ・足腰ガタガタ 身体ガタガタ
 でありながら、エレベーターの止まらない階の人達は、車椅子使用不可能
 一つの階段の上り下りの、辛いこと、辛いこと、・・・・。
 人って、どうして、こうも、ちょっと先の事が考えられないのか、・・・・。
 当団地の建築施工会社は、あの「竹中工務店」・・・・頭 悪りいい・・・・。
 省エネ転じて、悲劇となる、・・・・嗚呼。
 地獄の証明団地である。
 つづく。



 まあ いいから 水