勝俣部長の「ため息」5283回・・・・銀座のギョ

10月26日 日曜日

 

           ブログ写真館・・・・「もう1つの銀座」1989年撮

 

 

  天才老人美しさを求め行く

今思えば!

 

 1989年、平成元年8月21日・・・・銀座8丁目でパブバーを始めた。

  (店名:Pier21・・・・勝俣埠頭から21世紀に飛び出そう)

 銀座に住み着いた・・・・と言っていい。

 

 銀座と聞くと・・・・華やか、綺麗、高級などをイメージしてしまうが?

 真っ先に見たものが・・・・の銀座と言うか、「もう1つの銀座」である。

 ヨッシャー!・・・・写真に撮ってやろう、と意気込む。

 昨日から掲載したブログ写真が・・・・本日も、その1枚である。

 夥(オビタダ)しいクーラーの室外機・・・・その向こうに何がある!

 小さな飲み屋、大半が複雑な人生を抱えたママさん・・・・華やかさとは真逆。

 

 失われた30年・・・・最近、やけに聞く言葉である!

 日本の、ほんの1握りの土地で・・・・アメリカの全部が買える!

 こう意気込んだ猛烈なる時代・・・・まさに泡の如く、消えだし始めて行った。

 そのスタート年が1990年・・・・店を始めた翌年である。

 我が極貧パブバーでさえ・・・・銀座のラフに存するパブバーでさえ

 女子アルバイトに支払う時給が・・・・2500円~3000円。

 でも開店した瞬間の感触は・・・・ギョ

 ええ・・・・こんなに儲かっていいのか!

 まさに・・・・銀座のギョである。

 

 今思えばそのギョ・・・・開店の次の年から、成りを次第に小さくして行く。

 瞬く間に・・・・失われた30年に、飲み込まれて行ったのである。

 10年間で閉店・・・・後半の5年間のギョは・・・・虫の息脈拍死人

 

 何じゃ無い・・・・もう1つの銀座とは、自撮り自分であったのだ。

 先見性の無さ・・・・その塊であった。

 そして・・・・そのまま82才になった。

 嗚呼!

  *もう1の銀座、あと数日掲載させて戴きます・・・・粗末なギョを見てやって下さいまし。

 つづきます。

 

 

 水でも飲みましょう・・・・冷たい日々