5月28日 日曜日
折角、生きてるんだから
反応を考える
死んだ人は、反応の仕様がないのだから・・・・。
反応する事は、生きてる人の条件である。
生きていても反応しない人は、死んでいる人と同じと、言えなくも無い。
生きていても反応の弱い人は、虫の息状態で生きている人と同じと、言えなくも無い。
そう言う生き方は・・・・したく無い、と・・・・常々思っている。
ただ年を重ねると、身体的な反応は次第に鈍くなる。
逆に言えば・・・・老人は。
身体的な反応を積極的に為せば、幾らかは運動にもなる。
ごちゃごちゃと理屈を並べて見たが・・・・。
要は、年寄りは可能な範囲で、最大限、身体的反応を行うのがいい。
病院の待合室で呼ばれたら、黙ったままで無く、手を上げながら、声を発しながら
素早く立ち上がる。
団地内で人と行き交ったら、知る知らないに限らず、声を発しながら頭を下げる。
外、積極的に笑う、驚く、びっくりする、泣く、表に出さず怒りの真似事をする。
つまり年寄りの権利的特権として・・・・許容範囲内で、ドンドン喜怒哀楽を表に出す。
で、勝俣部長・・・・
年寄りの反応の「3つの要件」
を、自分で自分に向かって掲げている。
1つ、より早く 1つ、より鋭く 1つより的確に・・・・。
日々、事ある度に目指している(積りでいる)。
続ければ・・・・何れ、何らかの結果が出るかもと。
どうズラか・・・・。
先ず、本日のこのブログに・・・・深大寺螻蛄様、
より早く、より鋭く、より的確に・・・・反応する、を期待する。
どうズラか・・・・。
つづきます。
水と共に 毎日