勝俣部長の「ため息」4404回・・・・羨(ウラヤ)ましい、心憎い

5月14日 日曜日

 

           「神奈川県庁」付近 撮:2023.04

 

 

 折角、生きてるだから

やはりお金か・・・・?

 

 ひと頃、言葉として良く使われた・・・・金権崇拝(精神)主義。

 お金さあえあれば、全てはお金よ、お金さえあれば何でも出来るのよ。

 とにかくお金、お金、お金・・・・の精神。

 どうなんだろう・・・・言葉こそ聞かないが、その傾向は益々くなっている気がする。

 遊び心、的に・・・・その精神を、ほんのチョイ、打ち消す、言葉を考えて見た。

 例えば、

  「あの人達 (ウラヤ)ましいほどのせね・・・・」

 あるいは、

  「あの人たち 心憎いほどの幸せね・・・・」

 言葉の綾(アヤ)と言う事になるのだろうが・・・・。

  羨望 ×  

 と置くと・・・・必ずしもお金でだけでは無い気もする。

 羨ましいほどの健康、行動力、家族仲の良さ・・・・

 心憎いほどの気遣い力、品の良さ、洗練さ・・・・。

 そうそう・・・・羨ましいほどの文章力

 仕事を辞めて1年、二度と再び仕事に就く事ない、今とは・・・・何だ。

 効率追求から・・・・解放

 と定義して見ている。

 そうしたら、残っている今後を・・・・

  ・羨ましいほどの 何々

  ・心憎いほどの 何々

 を追い掛けて見ようと・・・・。

 良いよ、良いよ、いいね、いいね、ソレ実にいいね・・・・。

 まあ、裏を返せば・・・・お金の無い者の(ヒガ)みだと、言われそうであるが・・・・。

 まあ・・・・いいか。

 つづきます。

 

 

 単なる水こそ 永遠なるサプリ 名言である