勝俣部長の「ため息」3595回・・・・20年間

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2月6日 土曜日

 

 

 折角、生きてるだから

コカ・コーラ

 

 コカ・コーラの話しが出ましたので、もう一丁。

 我住む埼玉県がエリアに含まれる、「三国コカ・コーラボトリング社」に限定して言いますと・・・・何れも当時の話しです。

 本社工場は、今の桶川市の国道沿いに有ります(今も健在です)。

 2番目の工場が群馬県高崎市に、3つ目の工場が新潟県に、それでも生産が追着かず、最後の工場が埼玉県の岩槻市(当時)に誕生しました。

 多分、それぞれのコカ・コーラ社で、3つ前後の工場を持ってましたから、日本全国で、50前後の工場は有ったかと思います。

 今で言う、大変な雇用力だったと思います。

 当時の販売数の凄さの1つとして・・・・昭和48年(1973ネン)、

  ・たった8月の1カ月で

  ・東京コカ・コーラボトリング社1社が使用した王冠(ビン蓋)の数が

  ・勝君の会社だけで1億個を超えました(つまり1億本分)

 競合会社もありますから、総使用数は1億3000万本くらいになったかと

思います。

 その頃です・・・・コカ・コーラを飲むと歯がどんどん悪くなるとか、コカ・コーラ

歯を浸しておくと、歯が溶け出すとか・・・・盛んに言われ出しました。

 勝俣部長ですが・・・・当初担当したコカ・コーラボトリング社(東京、富士、三国、

利根、長野)・・・・以上5社、16工場。

 1日2~4工場を回り、製造部門、品質管理部門、出荷部門、総務部門など訪ね、シェアー(販売占拠率)維持に、細大漏らさず励んだもんです。

 歯の問題に絡めて言いますと、訪ねた部門部門で、必ず出されるのが180mlの

ガラスボトルのコカ・コーラです。

 多分、毎日20本前後飲み続けたハズです。

 コカ・コーラの担当はその後、仙台コカ・コーラボトリングみちのくコカ・コーラボトリング、そして最後に北海道コカ・コーラボトリング社までに・・・・。

 毎日20本のコカ・コーラ20年間飲み続けました。

 が、未だに歯は健在です(別にコカ・コーラから金銭は貰ってませんから)。

 偏に普段の手入れでしょうか・・・・。

 最後に味の話しですが・・・・米国本社(アトランタ)では、世界に馳せた自国の兵隊さんに、同じ味を届けるとして、完全なる製品スペックを作り、それに従い、どこの国でも生産しました。

 だから全く同じ・・・・と言われてました。

 が、水一つとっても微妙さは有りますし、気候風土も有りますし・・・・実際はどうでしょう。

 ちなみに、勝君が飲み干した、

  ・一日20本

  ・1年250日

  ・20年間

 計:100,000本は・・・・残念ながら、オール、メイドインジャパンです。

 他国の味を、論ずる事は敵いません。

 以上、コカ・コーラⅡでした。

 つづきます。

 

 

 今は 日々「単なる水」一筋です