9月14日 土曜日
ここも「浅草」 撮:2019.8
折角、生きてるんだから
なぜ 想像できない
勝俣部長・・・・だけのことかも知れないが・・・・。
我々には絶対が二つある。
一つは絶対に死ぬことである。
もう一つは、死ぬまで絶対に生きることである。
この二つの絶対であるが・・・・その向かい行く具体性は・・・・かなり違う。
生きる方は自分でイメージ出来るし、ある程度コントロールする事も可能である。
まあ、懸命に生きる(辛苦)を感じる・・・・って事が出来る。
ところが死ぬ方はと言うと・・・・コレが意外に想像出来ないで(勝君はいる)。
今まで何人もの親族、知人、友人の死と向き合って来ているにも拘わらずである。
一体、自分は(勝君は)どう言う形で、形態で、事象で・・・・最期を迎えるのか・・・・
トンと分からない。
ガンで苦しんで、突然の心臓麻痺で、イヤ交通事故であっけなく、イヤ自然災害に飲み込まれ・・・・はたまた老衰で・・・・いっさらイメージ出来ない。
と言う事はである・・・・人間、イメージ出来ると言うか、コントロール出来る方を・・・・詰まり生きる方だけを考え・・・・「生」きるを、「活」きるになるよう追い求め
続けなさい・・・・と言う神の啓示だと・・・・そう言うことかも知れない。
それなのに・・・・死ぬる方を、自分で明確にイメージしてしまう自殺は・・・・大、大、大なる罰当たりである。
先生・・・・絶対に教えなさいましよ・・・・絶対に。
有った、有った、有った・・・・3つ目の絶対が有った、有った・・・・のである。
つづきます。
昨日、千葉県八千代市緑が丘のマンションに水 搬入 同じ千葉県でも災害軽微なり