勝俣部長の「ため息」3017回・・・・3つ目の絶対

9月14日 土曜日

 

                                       ここも「浅草」 撮:2019.8f:id:bon-ku-ra:20190810162405j:plain

 

 

 

        折角、生きてるだから

なぜ 想像できない

 

 勝俣部長・・・・だけのことかも知れないが・・・・。

 我々には絶対が二つある。

 一つは絶対に死ぬことである。

 もう一つは、死ぬまで絶対に生きることである。

 この二つの絶対であるが・・・・その向かい行く具体性は・・・・かなり違う。

 生きる方は自分でイメージ出来るし、ある程度コントロールする事も可能である。

 まあ、懸命に生きる(辛苦)を感じる・・・・って事が出来る。

 ところが死ぬ方はと言うと・・・・コレが意外に想像出来ないで(勝君はいる)。

 今まで何人もの親族、知人、友人の死と向き合って来ているにも拘わらずである。

 一体、自分は(勝君は)どう言う形で、形態で、事象で・・・・最期を迎えるのか・・・・

トンと分からない。

 ガンで苦しんで、突然の心臓麻痺で、イヤ交通事故であっけなく、イヤ自然災害に飲み込まれ・・・・はたまた老衰で・・・・いっさらイメージ出来ない。

 と言う事はである・・・・人間、イメージ出来ると言うか、コントロール出来る方を・・・・詰まりきる方だけを考え・・・・「生」きるを、「」きるになるよう追い求め

続けなさい・・・・と言うの啓示だと・・・・そう言うことかも知れない。

 それなのに・・・・死ぬる方を、自分で明確にイメージしてしまう自殺は・・・・大、大、大なる罰当たりである。

 先生・・・・絶対に教えなさいましよ・・・・絶対に。

 有った、有った、有った・・・・つ目の絶対が有った、有った・・・・のである。

 つづきます。

 

 

 昨日、千葉県八千代市緑が丘のマンションに水 搬入 同じ千葉県でも災害軽微なり