勝俣部長の「ため息」3016回・・・・イジメもスマホも

9月13日 金曜日

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                                浅草「路地裏」昼間です 撮:2019.8

 

 

 

       折角、生きてるだから

学徒(高校体育会系)出陣

 

 一昨日、台風禍の千葉県君津市に水を運んだ。

 その惨状を目の当たりにして、遠い記憶を呼び起こした。

 1959年(昭和34年)、9月26日上陸・・・・あの、あの「伊勢湾台風」である。

 死者数5000人・・・・三重県は勿論・・・・我が住む山梨県も甚大な被害。

 収穫期を迎えた、勝沼を始めとする、県内各地のブドウ畑が全滅。

 勝俣君16才・・・・山梨県立「巨摩(コマ)高校」1年生。

 闘魂燃える、イヤ燃えない高校球児の1年生。

 どなた様の決断か知らないが・・・・県下の体育部所属の高校生が一斉に集められた。

 その任務は、倒壊したブドウ畑・・・・ぶどう棚の立て直し作業・・・・勿論、無報酬

 何人が集められ、何処に何人が、何日間振り向けられたのか・・・・自分の事も既に

記憶が霞む。

 勝俣高一年生は・・・・確か、石和のブドウ畑だと記憶している。

 3〜4日・・・・作業するぶどう棚のお家に寝泊りした(記憶が残る)。

 9月下旬だと言え、まだまだ蒸し暑く、倒れたぶどう棚を、4〜5人編成のチームで、よいしょ、よいしょと、合図掛け合い一斉に立て直す。

 泥が汗かく肌にくっつく・・・・顔に降りかかる。

 今回の台風被害で言えば・・・・千葉県下の体育部所属の高校生が、一斉に呼び出され、災害の地に・・・・。

 冗談じゃない、我が子はいい大学の受験生・・・・台風以上の・・・・非難囂囂(ヒナンゴウゴウ)、喧々諤々(ケンケンガクガク)の嵐が・・・・気圧910ヘクトパスカルの級の嵐が、吹き荒れるに違いない。

 当時、誰の決断により、何故あんな学徒出陣が出来たのだろう・・・・今思うと不思議である。

 古武士の面影を残す、当時は実に日本らしい、いい時代である、あった・・・・そう

思う・・・・貧しくも素晴らしい時代の学生生活だった。

 イジメもスマホも・・・・記憶に無いな、あ・・・・。

 つづきます。

 

 

 さあ 本日も水の搬入です