地味な駅かもね・・・・「上中里」駅 撮:2019.7
7月17日 水曜日
折角、生きてるんだから
何かが有る
勝俣部長・・・・令和では無く、昭和41年(1966年)4月、港区新橋に所在する
会社の(新入)社員となった。
1966年と言えば・・・・お隣の超大国、中国では、以降10年間に渡り、
が勃発した・・・・その年である。
未だによく理解出来ないが・・・・思想改革運動とか称し、富裕層や知識人が、軒並み
思想改革の洗礼を受けた。
この洗礼が荒っぽくて、と言うより恐怖そのもので・・・・1000万人が犠牲になったとも言われている。
付記すると、産経新聞が中国から追い出されてしまったのである・・・・勿論朝日新聞はさに非ず。
恐怖の嵐が治まる頃、記憶が全く定かでは無いが・・・・嵐の荒れ狂う当時、思想改革が成って無いと、
・英国人女性
・シェル石油 極東高級役員(現地社長?)
さんの投獄記が出版された。
作者も、本の題名も、出版社も、何もかも記憶が無いが・・・・地獄の投獄の日々を綴った記録である。
高温、多湿、最大級のジメジメ感、24時間暗闇の中・・・・絶望しか生み出ない地獄。
に、あって・・・・顔や身体の周辺を這いずり回る虫の動きに・・・・最後は一つの光明を見つけるのであるが・・・・。
その光明は力であり、生命力であり、生きる勇気であり・・・・絶望に打ち勝つ武器であった。
何があっても、何かが有る
若き勝俣青年の読後感であった。
この読後感は・・・・老年勝君となった今さえも継続していて、呪文の如くに・・・・何があっても、何かが有る、何かが有る筈・・・・と、凄い力を授かっている。
(自殺願望の若い人に読ませたい)
良い(善い)手記と出会ったものである・・・・。
今朝突然夢に出て・・・・今し方目が覚めた。
つづきます。
間もなく真夏・・・・遅れても来ます 水です