勝俣部長の「ため息」2959回・・・・凄い力

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                               地味な駅かもね・・・・「上中里」駅 撮:2019.7

 

 

7月17日 水曜日

折角、生きてるだから

 何かが有る

 

 勝俣部長・・・・令和では無く、昭和41年(1966年)4月、港区新橋に所在する

会社の(新入)社員となった。

 1966年と言えば・・・・お隣の超大国、中国では、以降10年間に渡り、

    文化大革命

が勃発した・・・・その年である。

 未だによく理解出来ないが・・・・思想改革運動とか称し、富裕層や知識人が、軒並み

思想改革の洗礼を受けた。

 この洗礼が荒っぽくて、と言うより恐怖そのもので・・・・1000万人が犠牲になったとも言われている。

 付記すると、産経新聞が中国から追い出されてしまったのである・・・・勿論朝日新聞はさに非ず。

 恐怖の嵐が治まる頃、記憶が全く定かでは無いが・・・・嵐の荒れ狂う当時、思想改革が成って無いと、

  ・英国人女性

  ・シェル石油 極東高級役員(現地社長?)

さんの投獄記が出版された。

 作者も、本の題名も、出版社も、何もかも記憶が無いが・・・・地獄の投獄の日々を綴った記録である。

 高温、多湿、最大級のジメジメ感、24時間暗闇の中・・・・絶望しか生み出ない地獄。

 に、あって・・・・顔や身体の周辺を這いずり回るの動きに・・・・最後は一つの光明を見つけるのであるが・・・・。

 その光明は力であり、生命力であり、生きる勇気であり・・・・絶望に打ち勝つ武器であった。

      何があってもかが有る

 若き勝俣青年の読後感であった。

 この読後感は・・・・老年勝君となった今さえも継続していて、呪文の如くに・・・・何があっても、何かが有る、何かが有る筈・・・・と、凄い力を授かっている。

 (自殺願望の若い人に読ませたい)

 良い(善い)手記と出会ったものである・・・・。

 今朝突然に出て・・・・今し方目が覚めた。

 つづきます。

 

 

 間もなく真夏・・・・遅れても来ます 水です