8月6日 日曜日
(写真:道の駅「あらかわ」秩父)
好き勝手に 言いたい放題
柱 時 計
昨夜久しぶりに、中山道「浦和宿」・・・・老舗の飲み屋さんに行った。
元々は旅館屋さんだった。
今は旅館業は止め、料亭と、経済的に我々でも使える、居酒屋を営んでいる。
3.11・・・・東日本大震災の時は、何軒かの避難家族を受け入れもしており、偶然にもそのご家族と、同じ場所で食事をした事もある。
当時の造りを一新し、真新しい居酒屋に変身している。
多分、作り変える前から有った(筈)の柱時計が・・・・店と時計の新旧の対比で、全面的に表舞台に飛び出ている。
その柱時計見ながら・・・・勝俣君・・・・白ホッピーを飲みながら、ご幼少の砌(ミギリ)を思い出していた。
家にも同じ柱時計が有った、有った。
・電池式じゃなくて 勿論手動式
・つまり ネジ巻式
・誰かが 1日1回か 2日一回
・多分 1日1回
・文字盤 やや下目の 左右の穴に
・ネジ巻き器
を突っ込み、ギーギーと巻かなければ・・・・時計は
止まった。
見事な郷愁が甦る。
そのネジ巻き責任者に、母親から私が命令されたのは・・・・小学低学年だった記憶する。
一回も忘れることなくネジ巻きをした。
だから、我が家の時計は一度も止まる事が無かった。
そう・・・・当時はサマータイムと言って、1時間の調整・・・・夏場は1時間遅くし、冬場は1時間早くする。
仮に今実施すれば夕刻5時が4時となる(アレ 逆かな、イヤ いい筈 かな)。
(定かな記憶は無いが そう長い期間の実施では無かった)
そのサマータイムなるものの実施が、ちょうど「サンマ」が、テーブルでは無く、ちゃぶ台に並ぶ頃だっらから、優秀なる小学低学年生は、意味も分からず・・・・サンマの時期だから、サンマタイム、サンマタイムと言うのだろうと・・・・マジ思っていた。
この柱時計・・・・かなりの家に有った筈である。
だから、かなりの人がネジ巻き責任者であった筈である。
それが為されない「だらしのない」家の時計は・・・・しょっちゅう止った筈である。
以上・・・・本日は「筈」3題の話しでした。
つづく。
さあ 水を飲みます