勝俣部長の「ため息」2242回・・・・時代は日清戦争

 6月11日 日曜日

(写真:京都「東寺」)






 好き勝手に 言いたい放題
現代人は 須(スベカ)らく



 勝俣部長・・・・最寄りの交通機関で仕事に出るときは、なるべくラッシュアワー時間を避けている。
 手術と加齢とによる、身体的劣化から身を守るためである。
 ところが時として、そんな我儘は許されない。
 つい先日、9時前に、どうしてもJR新橋駅に着く必要があった。
 詰まり、最寄り駅の武蔵浦和を始め、赤羽からの京浜東北線も、大混雑。
 人の圧力に為す術は無く・・・・身を任すしか無い。
 まさに息もえ絶えに、歯を食い縛り、食いしばる。
 やや落ち着いたとき周囲をる。
 同じ状態で居る多くの人達が、歯を喰い縛る代わりに、人波に身を任せながら、平然とスマホをチャカチャカ。
 揺られ、揺れ動きながらチャカチャカ・・・・。
 思わず通勤プロだと・・・・。
 同時に原始人の勝俣君・・・・「木口小平二等兵を思い浮かべた。
  ・時は日清戦争時代
  ・木口二等兵は 突撃ラッパの名手(とされていた)
 敵の銃弾にヤラれながらも、自身の銃を杖に、ラッパを増え続け、遂には絶命するも、ラッパを口にしたままであった・・・・とか。
 さながら、ラッパをスマホに置き換えれば・・・・時に今は、日清戦争時代である。
  木口小平・・・・1872ネン生、1894才(明治27年7月29日)没、岡山県出身
        島根県「浜田護国神社」に祀られている、そうな。
 つづく。




 さあ 水を飲みましょう