好き勝手に 言いたい放題
むしろ 殆ど理解され無い
勝俣部長・・・・どうだろう、仕事を通じて、人様と話を始めてから50年以上になる。
この間、一体何人の方と話をしてきたのか、もちろん数え切れない。
我々は通常日本語を話し、こちらの意向を伝えながら、相手の意向を汲み取る。
自分を含め、話せば通じる(理解された)と、誰もが信じている。
その証拠は、
・だって ちゃんと言って置いたじゃんか
こんな風景にある。
話せば伝わる・・・・ところが勝俣部長の50年の結論は・・・・話しても殆ど伝わらない・・・・殊に仕事上のやり取りは、
・話しただけでは 伝わらない
・理解されない
・伝わると 思わない方がいい
である。
仕事上の事ばかりで無く・・・・日常の他愛の無い会話の中にあっても、
・エエ あんたそんな風に 理解しちゃったの とか
・ヤダ そんな事を言ったんじゃ無いわよ
ってな事はある筈である。
ところが、ところが・・・・話しても殆ど伝わらない・・・・とする50年の結論は、メールのやり取りが主流の昨今、絶望的唖然さの瀬戸際にいる。
「あの 先日メールしていおきました件ですが・・・・」
「メール 読んで頂いてるでしょうが・・・・」
「メールで お伝えしました通り・・・・」
このメール集団君達は・・・・伝いえたい事に情熱を持っているのかな・・・・。
情熱がなければ伝わらない・・・・よ。
彼女を口説くとき・・・・メールしておきました通り、私、貴女と結婚したいのですが・・・・そうですね、承知致しました。
バカ、バカ、バカ・・・・やっておれません。
情熱不在の・・・・記号発信のみの社会、バンザイ、バンザイ、お手上げバンザイ・・・・そう思えて仕方が無い。
人間稼業にも、定年が有るってことかもなああ・・・・螻蛄様様。
つづく。
常温で飲めば 水の味が よく分かります