勝俣部長の「ため息」1344・・・・テレビ と 犠牲と

1月3日 土曜日

                                                   
                                                         (正月 飲むお酒)



好き勝手に 言いたい放題
 やはり 空々しい 


 今朝の産経新聞産経抄」の筆者さんは、正月、終日テレビを着けていると、思いも寄らぬ事があると書いておられる。
 箱根駅伝が飛び込んで来たり、ラグビーが来たり、サッカーが来たりで、終日なかなか楽しい・・・・こんな口調で書いておられる。
 が、勝俣部長・・・・やっぱし「」である。
 特に正月のテレビには、総じて空しいと言うか、空々しさを感じるだけである。
 昔は朝からテレビの前に釘付けとなり、一日中興奮していたが・・・・あの「テレビ興奮」は、何処に行ってしまたのだろう。
 多分、何もかも・・・・炊事、洗濯、掃除、勿論仕事・・・・一切合財を自分でヤラなければならい今の状態・・・・テレビを見射ると、その一切合財が、消化出来なくなる事に、賢明にも気が着いたからだろう。
 テレビを見ると言う事は、
  ・昔は 何かを得れた のが
  ・今は 自分の中の何かを犠牲に する
になってしまった・・・・偉そうに聞こえるかもしれないが・・・・年を取ると言う事の一つだと思える。
 変わって今年の正月も・・・・BOSE社の音響システムから流れる音楽を楽しんでいる。
 目と耳の違いとでも言うのか、耳の感じ方は「何かしながら」でも可能である。
 ここ最近の正月は、「音楽正月(キョクモクハ トハナイ ナンデモ イイ)」・・・・自分なりに楽しんでいる。
 テレビを騒音、雑音と感ずる「ご同輩」は・・・・テレビに空々しさを感じる「ご同輩」は・・・・いないだろうか。
 つづく。


 お酒 と 水 よき相棒ですよ