勝俣部長の「ため息」1316・・・・人知れず 病気 どっちが かな

9月11日 木曜日

                                                 
                                                          (川 越)



 好き勝手に 言いたい放題
親切 と言う 鬱陶しさ


 勝俣部長、・・・・やはり「変」かも知れない・・・・(とは思っていない/微妙)。
 大手を振った親切(心)が、時として鬱陶しくてたまらない。
 例えば電車に乗る。
 次は「赤羽」に止まりますなどと、駅毎に放送して教えてくれる。
 しかも最近は、日本語と英語の両方が流れると言う、念の入りよう。
 確かに便利で親切であるが、
   「そんな事は 自分で考えろよ」
   「分からない場合は 聞きに行けよ」
とすれば、一つの騒音にも雑音にもなってしまう。
  (そうそう 今流行りの技術を使い インホーメンションマシーンでも設置したらいい)
 ホームに降りる、・・・・今度は構内放送がやたらとウルサイ
  ・上野 上野の連呼 だの
  ・電車が来ます 黄色い線までお下がり下さい だの
  ・何何線にお乗り換えの方は だの
 最早騒音、雑音である。
  (東京って 一に当たり 初上京する人の率って 何%くらいだろうか)
 多くの方はどう思ってるのだろうか、・・・・。
 とても親切でいいじゃんか、・・・・助かってますと、そう思っているのだろうか。
 それとも慣れっこになってて、極めて「当たり前」として、全く気にならないのだろうか。
 せめて朝夕のそれぞれ2〜3時間、黙ってくれたら、多分
  ・音無しで 急ぎ足にならず
  ・音無しで もう少し余裕のある心が生まれ
  ・音無しの結果 他人様の事を 幾らか気にしてあげれる
そんな風景が生まれるような気がして、・・・・ならない。
 逆に言えば、・・・・あの種の親切心が人々の心を急かせている、・・・・そう思うのは、勝俣部長、病気なんだね、きっと、可哀そうにね・・・・ああ あ。
 つづく。



 水でも飲んで 落ち着こう