9月11日 木曜日
好き勝手に 言いたい放題
親切 と言う 鬱陶しさ
勝俣部長、・・・・やはり「変」かも知れない・・・・(とは思っていない/微妙)。
大手を振った親切(心)が、時として鬱陶しくてたまらない。
例えば電車に乗る。
次は「赤羽」に止まりますなどと、駅毎に放送して教えてくれる。
しかも最近は、日本語と英語の両方が流れると言う、念の入りよう。
確かに便利で親切であるが、
「そんな事は 自分で考えろよ」
「分からない場合は 聞きに行けよ」
とすれば、一つの騒音にも雑音にもなってしまう。
(そうそう 今流行りの技術を使い インホーメンションマシーンでも設置したらいい)
ホームに降りる、・・・・今度は構内放送がやたらとウルサイ。
・上野 上野の連呼 だの
・電車が来ます 黄色い線までお下がり下さい だの
・何何線にお乗り換えの方は だの
最早騒音、雑音である。
(東京って 一に当たり 初上京する人の率って 何%くらいだろうか)
多くの方はどう思ってるのだろうか、・・・・。
とても親切でいいじゃんか、・・・・助かってますと、そう思っているのだろうか。
それとも慣れっこになってて、極めて「当たり前」として、全く気にならないのだろうか。
せめて朝夕のそれぞれ2〜3時間、黙ってくれたら、多分
・音無しで 急ぎ足にならず
・音無しで もう少し余裕のある心が生まれ
・音無しの結果 他人様の事を 幾らか気にしてあげれる
そんな風景が生まれるような気がして、・・・・ならない。
逆に言えば、・・・・あの種の親切心が人々の心を急かせている、・・・・そう思うのは、勝俣部長、病気なんだね、きっと、可哀そうにね・・・・ああ あ。
つづく。
水でも飲んで 落ち着こう