勝俣部長の「ため息」994・・・・国には お金が無ければ ならない

8月26日 月曜日

                                                 
                                                 (風景:「笛吹川と鵜飼橋」/山梨石和)



    手遅れになって 健康を知る
ワークシェア の 意味すること


 本日も、「曽野綾子」さんの引用である。
 ワークシェアーに付いて、面白い見解を寄せている。
 ワークシェアーを作る事は、
  ・一つ 素人集団を作ること
  ・一つ 責任の所在が ボケること
  ・一つ 誰も責任を 取らなくなること
 ワークシェアー(仕事を分け合う)とは、そ言う事である、・・・・かく、闊歩する。
 一つの仕事を一人が、あるいは決められたチームが、最後まで責任を持って遂行するからこそ、社会に提供できる価値が(企業の存続)生まれる。
 それが、仕事が無いからと言って、言わば「継ぎ接ぎ」ラインを設けても、悪い結果しか残らない。
 仕事が無い時代の今、軽薄な考えから生まれたワークシェアーは、一見有難いシステムに見える。
 が、突っ込んで考えれば、社会に何らかの価値を、提供しなければ成り立たない企業としては、・・・・特に日本の企業としては、ハタ迷惑な救済策である。
 それとも、人をパーツ化(取り替え 引き換え自由)した現在の企業は、何の弊害も生じないなのだろうか、・・・・。
 給料の多寡は、働く気力と密接な関係を持つ、
   「あなた を 当社は 必要としているのです」
と、実感出来る心の状態で居ることは、何にもまして、働く気を炊きつけるものである。
 ワークシェアーが必要とされないためにも、・・・・全ては、景気回復が真っ先のような気がする。
 そう、景気回復は、国民の心の回復である。
 今ほど、国にお金が必要なときは無い、・・・・そう思う。
 安倍総理頑張って、下さい・・・・。
 つづく。


 まあ 水でも 飲みましょう