8月22日 木曜日
(風景:JR深谷駅付近)
手遅れになって 健康を知る
間 (マ)
「間(マ)」と言う言葉がある。
実に不思議な意味を持つ、・・・・そう思えてならない。
勝俣部長の先生、・・・・国語辞典を見る。
・あいだの時間
・何も言わない時間
などと有り、使われる用語として、
・間が抜ける
・間が持てない
・間が悪い
など、相手(人 対 人)を意識することで、使われる。
犬を相手に、「間が悪かった」などとは言わないし、・・・・猫を相手に、「間が持てない」などとも言わない。
ちょうどいい「間」とは、何だろう。
間を構成する要素は、
・人対人
・相手との関連度と密度
・性別
・年齢 年齢差
などなど、諸々の要素が有って、一定の時間を指す事では無い。
果たして、「間の無い」相手って、居るのだろうか。
「無間」なんて言葉は聞いた事がないから、間が無いなんて事は無いと思う。
親子でも「間」は有る。
兄弟でも有る。
それぞれに、それなりの距離(間)は、必ずある、・・・・と言うより必要である。
そう、「間」に対して、それを支える要素は「必要度」である。
必要度を誤れば、間が抜けたり、間が持てなかったり、間が悪かったする。
ここで勝俣部長、・・・・その「間」の必要性を、人対人に置くと同時に、自分にも向けるべきだと思っている。
イヤ、自分にこそ真っ先に、「間を置く」べきだと思う。
間を取らず、自分に密着し過ぎると、・・・・自分を見失い、
・何をするべきか
・どっちに 向かおうとしているのか
分からなくなってしまう。
そう、敢えて「間を取る運動」を心掛けて見たら、案外、より新鮮な「自分」が見つかるかも知れない、・・・・。
エエ、本日は実に「間の抜けた」話しとなってしまいました。
つづく。
間には 単なる水が フィットします