勝俣部長の「ため息」990・・・・不思議な 言葉

8月22日 木曜日

                                                
                                                     (風景:JR深谷駅付近)



手遅れになって 健康を知る
       (マ)


 「間(マ)」と言う言葉がある。
 実に不思議な意味を持つ、・・・・そう思えてならない。
 勝俣部長の先生、・・・・国語辞典を見る。
  ・あいだの時間
  ・何も言わない時間
などと有り、使われる用語として、
  ・間が抜ける
  ・間が持てない
  ・間が悪い
など、相手(人 対 人)を意識することで、使われる。
 犬を相手に、「間が悪かった」などとは言わないし、・・・・猫を相手に、「間が持てない」などとも言わない。
 ちょうどいい「間」とは、何だろう。
 間を構成する要素は、
  ・人対人
  ・相手との関連度と密度
  ・性別 
  ・年齢 年齢差
などなど、諸々の要素が有って、一定の時間を指す事では無い。
 果たして、「間の無い」相手って、居るのだろうか。
 「無間」なんて言葉は聞いた事がないから、間が無いなんて事は無いと思う。
 親子でも「間」は有る。
 兄弟でも有る。
 それぞれに、それなりの距離(間)は、必ずある、・・・・と言うより必要である。
 そう、「間」に対して、それを支える要素は「必要度」である。
 必要度を誤れば、間が抜けたり、間が持てなかったり、間が悪かったする。
 ここで勝俣部長、・・・・その「間」の必要性を、人対人に置くと同時に、自分にも向けるべきだと思っている。
 イヤ、自分にこそ真っ先に、「間を置く」べきだと思う。
 間を取らず、自分に密着し過ぎると、・・・・自分を見失い、
  ・何をするべきか
  ・どっちに 向かおうとしているのか
分からなくなってしまう。
 そう、敢えて「間を取る運動」を心掛けて見たら、案外、より新鮮な「自分」が見つかるかも知れない、・・・・。
 エエ、本日は実に「間の抜けた」話しとなってしまいました。
 つづく。


 間には 単なる水が フィットします