12月3日 月曜日
大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
忠 臣 蔵 こ ぼ れ 話
ウソか誠か、今朝の産経「産経抄」を、大変興味深く読ませて貰った。
12月と言えば、赤穂浪士、・・・・47人の討ち入り、・・・・ご存知「忠臣蔵」だ。
勢力数は、吉良邸側が浪士側の約3倍いたそうだが(140名位か)、その死者数は、
・赤穂側 0人
・吉良邸側 16人
この「0人対16人」の死者の差は、吉良邸側が忘年会を行い、深酒後の寝込みを襲われたからだそうだ。
(園田英弘「忘年会」文春新書)
今流に言えば、間抜けなこのスキャンダルを、当時の庶民は、
「明日知らぬ 吉良の屋敷の 忘年会」
と揶揄したと言う。
物語(映画・テレビ)では、大石内蔵助が、京都祇園で遊興に耽る場面をよく目にするが、・・・・。
その事実はともかく、実際に内蔵助さんは、相当に「飲んべい」だったらしい。
ここで書く実際が、何で確認されたか、と言うと、・・・・以下の件(クダリ)からで有るようだ。
超・飲んべいの勝俣部長にとっては、いよいよ興味深い。
内蔵助さんによる、「酒飲み5箇条」が残っていると言う。
(1)喧嘩、口論固く無用
(2)盃、下に置くべからず
(3)したむべからず
(4)抑えること無用 もっとも相手によるべし
(5)「助」 申しまじこと ただし 女には苦しからず
すなわち、ケンカをしたり、酒をこぼしたりせず、どんどん飲め、と言う事か・・・・。
抑える事無用(どんどん飲め)としながらも、相手によるべしと、するところは、凄く分かり易い。
また最後の、酔っ払って簡単に安請け合い(助)をするな、と、窘(タシ)めながら、女性が相手のときは例外だ、・・・・している。
内蔵助さん、かなり女人に弱かった(女ったらしだった)のかも知れない。
12月・・・・忘年会のシーズン、・・・・我々も一つ、内蔵助さんの「酒飲み5箇条」で参りましょうか、・・・・。
つづく。