7月16日 月曜日 海の日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
い じ め なんて 言葉で済ませる 段 階 か
大津市の、中学2年生が自殺した問題、ここに来て、連日大きく報じられている。
細部に渡り読むには、余りにも気が重すぎる。
実態が明らかにされて来ているようだが、ここに来ても未だ、「いじめ」のタイトルで、学校も、先生も、教育委員会などの関係機関も、そして、マスコミも済ませている。
勝俣部長、・・・・ここまで酷いと、これは「殺人(罪)」だと考える。
こんなに酷い事を、平気でヤッタ者か(連中かよく知らないが)を、一般の生徒と、一緒に学習させるべきでは無いのだ。
昔の言葉で言えば、非常な「問題児」である。
そんな児童を、一般児童と一緒に学習させてはならない。
それなりの機関に移し、特別指導すべきである。
その方が、その子の為になる。
その域にいる生徒(達)だと、見抜くのは誰か。
親であり、学校であり、先生であり、その報告を受けて立つ教育委員会である筈、・・・・。
それが、「いじめ」との言葉で、安易に括(クク)るから、事態は、より深刻な方向に行ってしまった、・・・・。
「何とか法」とかが有り、いじめた(サツジン)側の報道は、全くって言っていいほど、見えないが、何と言ったって、一番問題があるのは、殺人までにエスカレートさせた、いじめた側の生徒であり、その親である。
「いじめ」なんかの、チョロイ言葉の段階では無い。
これは、結果的「殺人」である。
学校が聖域かどうかは、関係無い。
警察が取り扱う問題だ。
ここまで来ても、知識的進歩人とか、何とか団体から、警察権力に対して、猛烈な反対意見が挙がるであろう・・・・。
でも、もし、こんな形で自殺したのが、彼方のお孫さんだったら、・・・・一体、どう心の整理を着けます、・・・・彼方様は、・・・・。
つづく。