6月21日 木曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
体の管理 と 行動を管理されること
落語の世界に、
「内の亭主ったら 一度家を飛び出したら 何処で 何をしているやら さっぱり分からない」
なんて嘆く、カミさんの話しが、よく登場する。
この、ほのぼのとする時代は(敢えて、ほのぼのと言う)、今は昔である。
サラリーマンの行動は、
・社内に居ようが
・営業で外に居ようが
その行動管理は、年々精密さを増し続けている。
昨今では、ジーピー何とやらで、外の何処にいるのか、ピンポイントで分かってしまうらしい。
いわゆる、「油断も隙も無い」事態に、日々晒されているのだ。
これらの全ても、IT革命の為せる業なのか、・・・・。
体の外側は、これだけ強烈に管理されながら、体の内側は、・・・・例えば、血圧一つとっても、全然と言っていいくらい、管理不能である。
その極みは、食欲の管理であろう。
管理不能に陥った巨体が、管理され続け走る姿は、悲しみを越えて、無残でさある。
外側と内側とが、かくも異なる場所と言うか、空間と言うか、まあ、そんなところに、日々身を置く人間って、一体、どうなってしまうのだろうか。
我が身を管理し切れないエンジン(精神)を搭載した車を(サラリーマン)、外側から強引に管理する、・・・・こんな風景って、何れ、精神の破綻を来たすのではないか、・・・・。
我々はこの先、人間業(ニンゲンギョウ)を、維持し続けられるのだろうか、・・・・。
考えたら勝俣部長、・・・・酒を飲んでるようで、実は、酒に飲まれている、・・・・。
この、「何何しているようで 実際は 何何されている」、・・・・ここんところを、よく考えなきゃな、・・・・な、な、な。
つづく。