勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」591・・・・何だか これも よく 分かんない

6月9日 土曜日

                                    



(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
    存 在 感


*存在感:勝俣部長得意の、「三省堂/国語辞典」によると、
      「そこにその人がいる、と言う感じの何何」
とある。
 存在感で言うと・・・・政治家は、概して存在感が高い。
 そして普通、就く要職度に比例する。
 例えば、県会議員より知事、知事よりは大臣、大臣よりは総理大臣、・・・・こんな具合だ。
 ただそれは、あくまでも「概して」である。
 個人の見方にもよるが、野田総理よりも、石原都知事の方が存在感が高いし、橋下市長の方が、市長職でありながら、遥かに高いから不思議だ。
 石原都知事の、例の、尖閣購入問題に、「丹羽宇一郎」駐中国大使が、中国との関係悪化を招くと反対した。
 と、昨日の産経は、一面トップで報じていた。
 丹羽大使が、かって、伊藤忠商事で、大変な功績をあげた人物であり、また、今現在、中国通で鳴らしている人らしい。
 が、・・・・そして、石原宣言に、猛然と反対したのであるが、我々一般人には、全く存在感が無い。
 こう考えると、存在感は何で決まるのかは、案外難しい。
 存在感とは、必ずしも反対にはならないが、・・・・まあ、反対の部類に位置する、「地味」と言う言葉がある。
 目立た無い、おとなしい、ハデさが無い、静か、気力が見えない、・・・・何か、こんな言葉で括(クク)れそうである。
 その「地味」さを、自らが宣言して表舞台に立った、・・・・幾多の政治家から見ても、稀有な男がいる。
 藤村官房長官である。
 歴代の長官は、総じて存在感のある人ばかりであった。
   「現在の 官房長官の お名前を お答え下さい」
 と、こんな質問を、街頭で行ったら、多分、ほとんどの人が答えられないのでは無いか、・・・・。
 全く、存在感の、「」の字も無い人である。
 ところが私の場合、地味さをウリにした男と、始めから思っていたから、彼には、彼相応の存在感を感じる、・・・・存在感って、いよいよ分からない。
 つづく。

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