勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」482・・・・わあー わあー

2月15日 水曜日

                            



   (「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
ちょっと と言うか うんと 寂しい気が する


 熱中するとか、感動するとか、は、本人にとって、何処か共通するところがある。
 ただ、その対象は、万人それぞれである。
 ある人が熱中(感動)した事でも、他の人は、必ずしも、そうならない。
 さてである、・・・・大袈裟に言って、最近の「世相」を見ていると、その熱中さが、
  ・とても単純化
  ・とても共通化
  ・とても短調
されている、・・・・ように見える(実際は、その本人の中に入り込まないと分から無いだろうが)。
 こんな言葉に集約される。
  ・わあー 可愛い
  ・わあー 美味しい
  ・わあー 安い
  ・わあー 簡単
  ・わあー 便利
 こんな感動表現を聞いていると、こっちが「わあー わあー」と叫びたくなる。
 小学生や、中学生なら「まだしも」、いい年をした、・・・・特にご婦人に、それを感ずる。
 それもその筈、男性諸氏は、感動を発する言葉さえも、持たないからだ。
 あの方の話し方に、感動した、とか、あの料理の味には魅了されたとか、・・・・などの、もう少し、個性的な感じ方は、無いのだろうか。
 曽野綾子(作家)さんの文章を読むと、勝俣部長は、随所に感動を覚える。
 さすが、プロ、・・・・イヤイヤ、プロを越えた、物凄さを感ずる。
 それは、駄文極まるが、自分も毎日書いているからだ、・・・・そう、感動を測る基準が、幾らか備わっているからだと思う。
 詰り、本人が「何か仕掛けて」いるから、・・・・その「何か」の、個別・個性的な部分で、感動(熱中)するのだと思う。
 なに一つ仕掛けて無いなら、・・・・「わあー 可愛い」に始まる、単細胞的感動しか無いのは、当然である。
 折角の、一度限りの人生、・・・・勿体なくは無いか。
 安もの漁(アサ)りも、追っかけもいいけれど、そのエネルギーをそのまま、自分に向けてみたら如何か、・・・・。
 自己内エネルギーが高まれば、より熱く燃える。
 熱く燃えれば、より「水」が美味しくなる。
 結局、「わあー 美味しい」は、「単なる水」に、極まるのである。
 わあー わあー つづく。

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