8月11日 木曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
原 爆 と 原 発
あくまでも私の、偏狭的な個人的見解であると前置きする。
菅総理を始め、広島の市長さん、長崎の市長さんらの、今年の平和宣言を聞いていると、「原爆」と「原発」を、同一線上で捉えているように思えてならない。
方や、超非常な冷血なる核兵器・・・・「原爆」。
方や、原子力平和利用の・・・・「原発」。
時に福島原発で思いもよらぬアクシデントが有り、・・・・確かに、放射能の汚染騒ぎの真っ只中に、我々国民は置かれているが、人が意識して仕向けた戦争とは、完全に違う。
そこの所を同じ範疇で捉えてしまったら、・・・・「元も子も無くなる」・・・・そう思えてなら無い。
そのキーラインを、一国の総理が、事もあろうに、63年前の原爆投下日に、混同しているように受け取れる言い方は、とても軽率に思えてならない。
私の考えは多分、相当なる少数派であろうが、・・・・私はそう考える。
これまで培って来た、原子の持つ「力」を、より安全に、より完璧に御せる技術の域まで、何としても高めて欲しい。
原発を利用するしないは別にして、純粋にして完全なる技術の確率は、是非成し遂げて貰いたのだ。
つづく。