8月1日 月曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
テ レ ビ
地デジ対応に乗り遅れる事なく、新しいテレビを今年になってから購入した。
ほんの申し訳程度に映ればいいと、なるべく小型のサイズを見つけて回った。
私の場合、ニュース以外の時間放送は殆ど見無い、・・・・。
見るとしたら睡眠薬と化す、「相棒」などの、かなり周回遅れの録画番組である。
時代錯誤もいいとこだ。
だから店員さんに、録画機能が内臓していて、なるべく小型のテレビと、・・・・こうお願いした。
「この小振りのテレビはどう」、と尋ねるも、
軒並み録画機材が別売のものである。
諦めずに根気よく探せば、秋葉原あたりには有ったかも知れ無いが、結局18インチ(欲してたものより大き過ぎ)のもので手を打つ事にした。
昨夜長男の家に厄介になったのだが、「家にテレビかく在り」をさも誇るように、42インチとかの大型テレビが、どんと置かれていた。
人それぞれだから、どうだっていいが、・・・・この家はテレビがご主人様かと、・・・・皮肉の一つも突きたくなる。
ところでテレビって、やたらにうるさく思う時がある。
銀座の水商売時代、「カラオケ」のやかましさに閉口して、・・・・「30分歌い、60分お休み」なるカラオケ規則を強いて、相当数のお客さんを失った事がある。
あの時ほど、自分が如何に少数派の人間か、・・・・そして商売下手かを知らされた事は無い。
テレビのスイッチオン「のべつ幕なし」家に行くと、あのカラオケ規則を懐かしく感じる。
「さあ、さあ、今から1時間はテレビOKだよ。その後は2時間お休みだよ。」
「お休みの時間は、テレビ以外の事を為さい為さい、さあ為さい」
余計な事だとは分かっているが、テレビは「ほどほど」がいいじゃんなどと、ついつい余計な口出しをしたくなってしまう。
テレビやパソコンに添えない事は、時代に添えない事か、・・・・いいや、このまま水でも飲んで、「添えない自分」を全うしようじゃあねえか、・・・・。
ここになぜ水が出て来るのか、本人も分からない。
つづく。