1月24日 月曜日
(「単なる水」が、あなたを変える)・・・・不気味な時代
もし車を運転していて、「制動・制御」装置が何一つ機能しなくなったら、不気味さを通り越し恐怖となる。
「不気味」と言う言葉の響からは、幾つかの感じ方があろうが、勝俣部長は、「恐怖の一歩手前」と感じてしまう。
小心な私から見ると、今はまさに「不気味な時代」に見える。
・政治に対するコントロール装置が、本当に機能しているのだろうか
・景気に対するコントロール装置が、本当に機能しているのだろうか、・・・・と。
そして、最も不気味さを感じるのが、
・教育に対するコントロール装置が、本当に機能しているのだろうか、・・・・と。
こう書くと、必ず次のように反論される、・・・・。
トンデモナイ、教育をコントロールするなんて、トンデモナイ、それこそ恐怖の塊(かたまり)でないかと、・・・・。
昨日から再開した秋葉原の歩行者天国、・・・・教育と言う基本的な制動・制御装置が機能してないから、無数の管視カメラと多数の警察官が必要となる。
コントロールされる事が、実は私には、最大の自由を手に入れれように思えて、仕方が無い。
万人が自由になることは、「自由・自由の人同士」が、自由を主張するあまりぶっつかり合い、結局は万人が不自由になることでも有る。
そのコントロールに関して言えば、この世に、コントロールしたくても全く不可能なものが二つある。
一つは空気で、・・・・一つは「単なる水」である。
この二つは、コントロールされると本質を失う・・・・そう思う。
「単なる水」が、彼方を健康体質に導く。
「単なる水」の凄さがここにある。
つづく。