1月14日 金曜日
(「単なる水」が貴女を変える)・・・・一人で遊べる(楽しめる)術
作家の「曽野綾子」さんが12日の産経新聞で、≪老年の戦いの一つは孤独に耐えること≫だと、書いていた。
病院の待合室が老人の団欒の場になる事を思うと、年を取るほど「寂しがり屋」になるのかも知れない。
≪教養とは、一人で遊べる術である≫と、誰かが書いていた言葉を思い出す。
確かにそうかも知れない。
勝俣部長の一人生活は、先ず高校1年生の時に始まった。
父親の転勤で家を引っ越さなくてはならぬ羽目になり、反対した私の処遇を、母親は私の意見通りに実行したため、そのまま一人生活が始まった。
その時の生活訓練が・・・・例えば、食事を作ったり、洗濯したり、着てるものを繕ったり、・・・・を、覚えてしまった。
考えたら、これらも立派な「教養」である。
この教養がベースにあるからこそ、現在の独居生活も大過なく過ごせているのかも知れない。
世の男性諸君に言いたい、・・・・今からでも遅くない、・・・・家事の作業を奥方から奪い取り、その教養を身に着けるといい。
老いてコレよく一人で遊べる術は、2駅3駅を簡単に歩いてしまう迫力と同様に、誠に「痛快」な、一種の事件である。
ところで今夕、どなたか私と一杯やりませんか・・・・何分にも「寂しがり屋」な者でして・・・・。
「単なる水」が貴女の健康を救い、健康は貴方の孤独を救う(凡)。
つづく。