勝俣部長の健康体質作り・・・・高尾山「健康の仮説と検証(体感)」(5)

10月10日 日曜日 
    
何の変哲も無い写真を掲載した感じですが、この写真を撮ってる勝俣部長は、息も絶え絶えの必死の状況にあります。
甲州街道(20号線)を山梨方面に進み、高尾山を過ぎてしばら経つと、一番高い地点に「大垂水峠(おおだるみとうげ)」の看板が有ります。
そこから「小仏城山」の頂上にに向って、大変急な登山道があります。人影はマバラと言うより、殆ど有りません。
写真は、頂上「城山」の少し手前の風景です。
ここまで一気に登って来ると、声なんか出したく有りません、イヤ出ません。
ただ登り切った瞬間の爽快感が、たまらないのです。
ここはめったに挑戦はしませんが、・・・・登って見たいと思う事があるから不思議です。
高尾山と一口で言っても、いろいろあります。
だから飽きないのかも知れません。



今思うと「良かった」、と思うことって有りますよね
 結果として勝俣部長の人生って、結構いい加減な、・・・・イヤ、相当いい加減な人生です。
 22才で社会人になり、20数年間は順調なサラリーマン人生を歩んだのです。
 それが45才を境に、・・・・当時は悲劇のどん底と思えた、・・・・仕方有りません、自分自身の過失で会社を辞めることになったのですから。
 その後10年間、東京銀座8丁目でパブバー「ぴあ21」を開業しました。
 最初の2年は順調でしたが、バブルが弾けた途端、青息吐息となり結局55才で店を畳ました。
 ある方の紹介でまたサラリーマンに戻り、「水商売」から、今度は「真水の商売」に就くことになったのです。
 今思えばです、・・・・決して見通していた訳では無いのですが、・・・・「55才と真水」の組み合わせが、実は勝俣部長の人生を救ってくれたのです。 
  (1)何のトラブルもなくあのまま最初の会社に居続けても、
  (2)また銀座の水商売が順調であり続けても、
間違い無く体を壊し、廃人同様になってたのは間違いありません。
 だって、これも今だから思えるのですが、廃人になって当り前の食生活摂り続けていたからです。
 悪しき食生活は55才辺りから、・・・・遅くとも60才辺りから、疾患となってツケが回って来ます。
 ツケは間違い無く来ます。
 そんな危険エイジの折に、「真水」に出会い、・・・・しかも半端では無い「ファインアクア」と言う、
   ・質の高い水に出会い、
   ・何年も体感し続け、
   ・高尾登山を続け、
   ・食生活を猛反省し、
・・・・その結果は、間違い無く健康を害する筈が、健康を説いて回ると言う、摩訶不思議な巡り合わせとなったのです。
 声を大にして言います。
 「心底、今の今に、感謝してます」。
 
 人生、どこでどうなるか分かりません。
 つづく。



 飲むなら「単なる水」です。
 ミクロクラスター水「ファインアクア」なら、申し分有りません。

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