勝俣部長の「ため息」1866・・・・大損する なよ

5月22日 日曜日

                                                    
                                                       (山梨笛吹市浅間神社」)



    好き勝手に 言いたい放題
工夫して 生きると言う 生き方


 人がから貰った人生は・・・・極端に言えば、0年から、まあ、せいぜい100年である。
 となると勝俣部長の場合、今の年齢を考えると・・・・後10年は優にある。
 この最後の10数年を包む概念は(コンセプト)を・・・・どうするか・・・・だ。
 今、毎日懸命に挑戦しているのは、
  ・工夫しながら 生きる
  ・工夫する
  ・工夫の日々
 1日の時間を・・・・工夫する時間・・・・と置く(置いている)。
 朝の起き方に始まり、夜の就寝の仕方まで、自分なりに工夫する。
  ・例えば、月〜水曜日までと、木〜金曜日までとを変えるとか・・・・
  ・例えば、食事の作り方、食べ方を工夫するとか
  ・例えば、天気の日と雨天日との 仕事の仕方を工夫するとか
 など、日々の時間を、工夫しながら微妙に追い求める。
  「エエ それって 疲れません〜」
 実はその疲れこそが、日々の楽しの基となる(のです)。
 只今取り組んで見ようとしているのは・・・・(形状記憶)ワイシャツの洗濯の工夫である。
 クリーニング屋さんには一切出さず、全てを自分の手で為す(7枚分)
  ・ネットは使用するべきか
  ・洗濯時間は どうあるべきか
  ・絞り方は どうするか
 などなど・・・・まあ、半年くらい掛けて、結果を追い求めて見たい。
  (結果を レポートする・・・・これだけ楽しいじゃんか・・・・)
 だから言葉を換えれば・・・・工夫して生きるとは・・・・楽しんで生きる、と、イコールとなる。
 特に晩年の「何十年」は、日々を楽しんで(工夫して)生きなければ・・・・大損じゃんか・・・・。
 そうしなければ、から罰を受けそうである。
 誠に詰らない、本日の内容でした・・・・小さく ゴメンナサイ。
 つづく。



 水を飲んで もう少し コピットしよう ぜ