1月3日 金曜日
(「栃木市」にて)
好き勝手に 言いたい放題
お 米
好きさ加減はあるだろうが、お米を嫌いな人は、先ず居ないだろう。
勝俣部長、・・・・幼少時代は「米穀通帳」なる統制通帳が存在し、例えお金を出しても、お米を好きなだけ買う事は出来なかった。
闇米(ヤミゴメ)なる言葉が生まれ、金持ちは「それなりの裏ルート」で買ったりもしていた。
勿論バレれば御用。
我々「非・金持ち」は麦を混ぜ、・・・・いわゆる「麦ご飯」を、来る日も、来る日も食べていたが、食べれるだけマシであったろう。
正月3カ日は、雑煮と併せ、「白米(米だけのご飯)」が食べれたのだから、或る意味、勝俣家の裕福度は、「下の下」程度の水準にあったのかも知れない。
「米がダイヤモンド」の時代であった。
時代は過ぎて今、・・・・お米は
・何処でも
・好きなだけ
勝手に買う事が出来る。
最早量は関係無く、「質」が追求され、ヤレ「魚沼産」だ、「コシヒカリ」だなどと贅沢が飛び交う。
それどころか「減反」が実施され、お米を「そんなに作るな」とする、政策が必要となるのだから、凄まじい時代になったものである。
米が「ダイヤ」から、「単なる石」になってしまった。
もう一点言うと、食事は家で「作り」、家で「食べる」のが当たり前が、・・・・これまた、
・何処でも
・時間に関係無く
・好きなだけ
外で勝手に食べれる時代になった。
家で、一切作らない人達だって居よう。
米を貰って嬉しい時代で無くなった、・・・・からだと思うが、一頃流行ったお米の「ギフト券」をトンと見なくなった。
勝俣部長、・・・・昨年12月、八丁堀の飲み屋さんの「おカミ」さんが、新潟出身で、とても美味しいお米が買える、・・・・と言う事で、10kgお願いした。
代金を支払う段になって、・・・・勝俣さんには、度々「水」を贈って貰っているから、プレゼントします、・・・・と言う事になった。
が、ハッキリ言って、「こんなに嬉しい」事は無い。
「エビで鯛を釣る」との諺があるが、「単なる水で ダイヤ」を釣ったのである。
私にとってお米は、未だにダイヤ以上のモノである。
お米はダイヤだと、日々思える、「食の手作り生活」を、今年も続けたい。
食べるモノを自分で作る、・・・・こんなに幸せな事は無い・・・・。
つづく。
米 と 水 切っても切り離せません