3月11日 日曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
1 年 前 の 今 日
1年前の今日、・・・・言うまでも無く、東日本大震災が、発生した日である。
その日は17時30分から、最初の会社の、同期入社8名と、有楽町で、酒宴を開く事になっていた。
結果から言うと、その集まりがあったお陰で、私は、帰宅困難者にならずに済んだ。
・仕事の大半は車で為す
・飲み会が入ると、午後早めに切り上げ一旦戻る
・帰宅後改めて電車で東京に出る
この図式に従って、行動していた為、大震災発生の時間は、首都高速の「四ツ木」の手前を、浦和に向って走行していた。
あの地点は、地上30m前後の高さのため、死ぬほどの恐怖心に襲われたが、どうにか17時前には、家に戻れたのである。
仮に、会合の約束が無く、あの時間、未だ、都内を走りまっていたら、悪夢になっていたろう。
そう思うと、何と「運」が良かったのだと思う。
・築40年も経つ古い建物であること
・13階に住んでいること
のため、部屋の中は、家財がメチャメチャに飛び散っていた。
後から知ることになったのであるが、・・・・そんな、「家財がメチャメチャ」などは屁でも無い、巨大な津波が、・・・・大震災の、大震災であったのだ。
死ぬほどの恐怖心に合いながらも、地震発生直後は、会の幹事役に、
「かなり 揺れたけど 今夜 どうする 少し 様子を見る」
「俺 未だ 家に向って走ってるところだから ちょっと 遅れるかもな」
などと、まあ、「傍迷惑な」、ノンビリした事を、考えていた。
勿論、「質」は、全く違うが、津波の犠牲になってしまった、多くの人々も、揺れの恐怖のあと、助かったと言う、若干の「心の安堵さ」に、・・・・その安堵さと言う、間隙の中を、津波に急襲された、・・・・そん気がしてならない。
人の心は、何処かに、自分でも認知し難い、想定外さを、持っているのかも知れない。
黙とう。
つづく。