9月4日 火曜日
昔の写真で出ています/唐招提寺回廊
好き勝手に 言いたい放題
新聞を読む
ここ何十年・・・・新聞は毎日欠かさず読んでいる。
我々世代は当たり前の感覚である。
新聞代が1カ月4000円、年額50,000円弱、10年で500,000円、
50年で2,500、000円・・・・うえー 勿体ない。
こんな間抜けな計算感覚は、全く持たない。
一頃の車内は・・・・今のスマホと同様、揺れる電車に身を任せ、新聞を小さく畳み、
必死になって読む光景が・・・・今となれば風物詩である。
今の若い世代は、新聞を読まないと言う。
読む必要が無いと言う。
スマホの類で十分間に合うと言う。
しかもその費用、タダの計算が成り立つ。
新聞代払うの馬鹿馬鹿しい・・・・この間抜けな感覚が優先してしまう。
まさに自分側から・・・・本人側から見た、理屈である。
私のところに・・・・我が長男と同じ年恰好の社員が一人居る。
この3年間、ミーティングをしたり、共に得意先に出掛けたり、酒を飲んだりしている。
結論的に言うと・・・・この若者、新聞はいっさら読んで無いな・・・・直ぐ分かった。
例えばである。
昨日のプロ野球の結果・・・・「勝俣さん ジャイアンツ 勝ちましたよ」と来る。
それだけである。
他の試合とか、誰がホームランを打ったとか、敗戦投手はとか・・・・付随する周辺ニュースは一切知らない・・・・拾わないと言うべきか。
ちゅうより、
・目に入らない 飛び込んでこないのかも
別にプロ野球に特別の興味は無いが・・・・もしコレが新聞を広げたら、周辺のニュースが否応無しに飛び込んで来る。
自分の望むものだけを見る・・・・望まなくても、飛び込んで来るので見ると、思わぬ興味覚える。
詰まり、自分の好きなものだけを食べているのと同じである。
情報の栄養失調、偏り・・・・人間の歪みとなる(そう思う)。
新聞を広げるのが楽しみであり、新鮮であり、感動であり、自分である。
この興味の覚えの塊が・・・・かなり話題の幅を広げてくれる。
結果、勝俣君は、人格的に、決して好きなタイプとは言われ無いが・・・・また
あのオジサンと会って、話を聞いて見たいとされたら・・・・営業マンとしては、損な事では決して無い。
新聞を読んで無い人・・・・3分も話せば直ぐ分かります・・・・幅が広がらないから、鬱や、
ノイローゼになり易い・・・・そう思えて仕方が有りません。
つづく。
喉が渇いたら 単なる水を飲みましょう