勝俣部長の「ため息」1170・・・・痛みの供は無い 現世との 別れ

3月17日 月曜日

                                               
                                                   (安芸の宮島厳島神社」)



好き勝手に 言いたい放題
    麻 酔


 勝俣部長、・・・・間も無く、入院・手術してから1年が経つ。
 随所に「後遺症」が顔をだすから、手術そのもを忘れる事は無い。
大袈裟に言えば後遺症は、善くも悪くも、我が人生の一大メモリアルである。
 と共に思い出すのは、「麻酔」の威力と言うか、凄さである。
 威力があるだけに、ある意味、執刀医師より麻酔担当医の責任は重い、・・・・かも知れない。
  (最近 テレビドラマで 麻酔医師の大切さが ことの外取り上げられている)
 昨年4月26日、勝俣部長、・・・・全身麻酔の「凄さ」を、否がうえでも知る事になった。
  ・手術室に入る
  ・手際よく それぞれの担当が それぞれの準備に取り掛かる
  ・ただ 麻酔医師の顔は ほんの少し 見るだけ
 後は、手術を終えた自分に、病室で、・・・・あるいは回復室だったような気もする・・・・気が着くだけである。
 私の場合、手術に要した8時間は、自分の意思とは全く関係無く、すっかり欠落している。
 酒を飲み過ぎて、「まだらボケ」のごとく、飛び飛びの記憶しか思い出せない事はあるが、連続して8時間も記憶が欠落する事など有り得ない。
 痛くも何とも無い麻酔の凄さを、・・・・が、故に有難く感ずる。
 もしあのまま、運悪く、二度と再び、現世に戻らなかったしても、・・・・本人は、「口惜しさも」、「無念さも」なんとも無い。
 ひたすら、回りの親族を中心とする人達が、涙するだけである。
 勝俣部長の臨終が、・・・・昨年の麻酔のような形であったなら、「生きる」とか「死ぬ」とかの概念は、全く入り込まないから、心穏やかなモノになると思う。
 が、果たして、・・・・実際はどうなのだろうか、・・・・恐怖感で、のたうち回っているだろうな・・・・。
 大不謹慎を承知で言うと、「全身麻酔自殺屋」さんがあったなら、お客は大殺到していると思うよ、・・・・多分。
 つづく。


 入院中 何より威力を発揮しれくれたのは 「水」であります