勝俣部長の「ため息」1144・・・・遠い 思い出

2月9日 日曜日

                                               
                                                  (昨日はよく「降りました」ね)



好き勝手に 言いたい放題
降る雪や ・・・・


 「降る雪や 明治は遠く なりにけり」・・・・有名な一節があります。
 この手で言うと、
 「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」
 勝俣部長、・・・・そう、今から60年も昔の昭和20年代、小学校時代です。
 山梨の田舎も田舎、超片田舎、・・・・南巨摩郡鰍沢(カジカザワ)」町に住んでました。
 大家さんは、大店の荒物問屋さん。
 その離れを、親が借りて住んでました。
 流石に大店さん、・・・・借りた住まいと、お屋敷の間に、庭園があり、池にはキレイな水が張られ、錦鯉が泳いでました。
 邸内にはお蔵が3つもあり、それぞれ「荒物蔵」、「味噌蔵」、「雑物蔵」と呼んでいました。
 一番大きな、・・・・商売品を在庫する「荒物蔵」には、畳表や地下足袋、釣り道具や竹製の定規、蚕産品の数々など、・・・・種々雑多な、まさに「荒物」が、無秩序に積まれておりました。
 お蔵特有の白壁は、米国敵機襲来に備え、黒く塗り潰されておりました。
  (つい最近まで その姿のままでした)
 屋外にもトイレがあり、昔は使用人が使っていたのだと思うます。
 日々遊ぶのが商売の我々子供にとっては、かなり楽しい場所であり空間でした。
 当時、雪がよく降りました。
 借りた住まいの裏山が「竹林」でしたので、無数にも思える竹が、雪の重み絶え絶えに、傾斜したり、完全に折れ曲がったりしてました。
 記憶は今も鮮明です。
 深深(シンシン)と静かに降り続ける夜半、・・・・突然、「パーン」と乾いた音が鳴り、ビックリして飛び起きた事が何度もあります。
 節を持つ竹が雪でやられ、状態によって、「破裂音」を発したのだと思います。
 降る雪は多分、30cmや40cmは平気で降ったと記憶します。
 今は全く様相が異なり、あの鰍沢も、東京並みの雪しか降らないでしょう、・・・・。
 勝俣部長、・・・・昨日の大雪は、・・・・そう 「降る雪や 昭和は遠く なりにけり」・・・・の思い出でした・・・・。
 さあ、本日は日曜日、張り切って雪かきします・・・・。
 つづく。


 今日も 一杯の水から スタートです