勝俣部長の「ため息」1068・・・・死ぬまで 分からない そう思う

11月14日 木曜日

                                               
                                                 (荒川「河川敷」埼玉県川口付近)



手遅れになって 健康を知る
ハンドル の 遊び


 考えたら自動車のハンドル・・・・ハンドルの「遊び」は、誠に素晴らしい機能を持つ。
 車を運転する人なら、直ぐ分かるだろうが、もし、ハンドルの「遊び」と言われる部分が、
  ・必要以上に 大き過ぎたら
頭で考える行動と、車の動きの結果とが一致せず、・・・・多分、左へ右へ、大きく蛇行して、とても運転などしてはおれない。
 しかし、もっと怖いのは、・・・・1mmの遊びさえ無い、ハンドルの車であろう。
 考えただけで空恐ろしい。
 例えば日本中の車が、一切遊びの無いハンドル車だとしたら、日本中、24時間、毎日、事故だらけになろう。
 無駄だと思うハンドルの遊びは、実は、安全運転(車が生きる)の基である。
 誰が考案したのか「ハンドルの遊び・・・・その設定値」は、ノーベル賞ものである。


 今、「効率化」の社会である。
 ITの高度化で、あらゆる面で、年々、その「効率追求」が厳しさを増す。
 あれも無駄、コレも無駄、・・・・言葉的にはこんな結果となる。
  「勝俣部長 その件 わざわざお見え戴か無くても メールで 構いません から」
  「私 ゆっくり話す 時間もありませんから」
 年々こんな会話が、得意先を問わず、男女を問わず・・・・「若手社員」から返される。 
 一瞬の油断も、スキもならない社会、・・・・効率化出来ない企業が、世から抹殺されるのだから、これも仕方が無い、・・・・多くの人が、コリャー適わん、・・・・そう思いながらも、日々を生きているのだろう。
 しかし人間として考えたら、必要以上の効率化の追求は、「ハンドルの遊び」を「段々狭め」ているように思う。
 やがて、1mmの遊びも許されない、社会が形成されるかも知れない。
 1mmの遊びも許されない、「企業ハンドル車」が、あっちこっちで事故り、・・・・交通整理もつかず、・・・・結末は、発狂的人間集団が形成される。
 直ぐそこまで来ている。
   「勝俣部長 その件 メールで 構いませんから」
 バ〜カ、・・・・お前さんたち、・・・・20才前後で、己の、社会性を備える成長を止めてどうする、・・・・昔我々は、自社、得意先に限らず、先輩に、仕事とは直接関係の無い事で、学習させられたものだ。
 そう、メールで済まない部分こそが、・・・・彼方(達)は必要なのに、・・・・まあ、死ぬまで気が着かない、だろうけんどさ、・・・・あああ。
 つづく。


 さあ 水を 飲もう