勝俣部長の「ため息」1058・・・・本当は 怖い話し

11月2日 土曜日

                                              
                                                     (「横浜港」にて)



 手遅れになって 健康を知る
おいしさ  と  健康


 おいしさも、健康も、・・・・何気ない言葉である。
 楽しい言葉である。
 楽しいし、生きて行くのにどっちも必要な要素である。
 ところがである、・・・・両方とも満たすとなると、ホトホト困る「厄介」さにブチ当たる。
 多くの人が、悩み、苦しんで来たし、・・・・居るに違い無い。
 それは、おいしさには、制御装置が働き難いからである。
 なぜ働かないか、・・・・制御装置が機械でも無く、器具でも無く、・・・・心力(精神力)だからである。
 となると、おいしさは「反健康」となり、・・・・ある意味、どちらかを犠牲にしなければならない。
 多くの人が悩む公式とは、・・・・「おいしさ = 食べ過ぎ = 健康を害す」の公式である。
  *勝俣部長の持論:免疫力を最高に損なうのは「食べ過ぎ」である
 にも拘わらず、おいしさ追求を極めた「食べ物」、「調理品」、「食材」で、日本中が溢れかえっている。
 食べ過ぎた日々の、・・・・「悲惨」な結果が、体に現出するのは、20年とか、30年とかの後だから、・・・・始末に悪いし、・・・・だから、制御装置を稼働させないでいる。
 そう、例えば、・・・・体が衰え始める30才くらいから、食べ過ぎを加速し始めると、60才〜70才当たりで、体に「無残な結果」が現れる。
  ・病む 老人
  ・病みながらえる お年寄り
  ・杖をつく 車椅子に乗る 手助けして貰う
 何処でも、一杯見る風景になっている。
 食べ過ぎ続けた集団。
 高齢化がそうさせてるように思うが、そうでは無い。
 食べ過ぎた日々が、元凶だ。
 「おししさ」と「健康」、・・・・永遠に厄介なテーマであるが、・・・・誰のテーマでも無い、・・・・自分のテーマであるのだ・・・・。
 つづく。


 「単なる水」・・・・永遠なる健康の基である