勝俣部長の「ため息」978・・・・言葉は 生き物

8月9日 金曜日

                              



 手遅れになって 健康を知る
勿体ない と 健康


 日本の「勿体ない モッタイナイ」が、素晴らしい言葉として、世界に発信されて久しい。
  (アフリカの女性だったと 記憶する)
 確かに素晴らしい言葉、・・・・と言うか、一種の精神論にも繋がる言葉である。
 しかし今の日本では、この「勿体ない」の精神は、公私の「私」の方はともかく、私からはねれた「公」の場面になると、まるで影を潜めてしまう。
 強欲な精神へと、変身してしまう。
 勝俣部長、・・・・「勿体ない」と聞くと、母親を思い出す。
 その昔、食べ物が不足していた時代、母は手に入っ少々の食材を、捨てるところが一つも無いように、物の見事に料理し、食べさせてくれた。
 差し詰め、勿体ないの神髄である。
 ところが私は、ここ10年来、「食べの と 勿体ない」の狭間で迷って来た。
 予定通りの量の食事をした後、少々残ったものを、どうするかで迷うのである。
 10年前までは、処理する場所は、自分の胃袋と決め込んでいた。
 これも一つの「勿体ない」精神だとして、何一つ残す事無く、ホイホイと自分の胃袋に投げ込んでいた。
 結果、身長170cmしか無いのに、体重76kgの見事なデブ体を作り上げた、・・・・その要因の一つになったには違い無い。
 母の時代と違い、食べ物が溢れる現在、・・・・こと「勿体ない」の精神を、「食」の場面で、間違って発揮すると、健康被害となることもある。
 お陰様で今は、捨てるのは勿体ない、
  ・もう一杯 食べて しまおっと
  ・面倒だ 全部 食べよう っと
とする精子に打ち勝て、・・・・身長に見合う体重(63kg前後)になった次第である。
 勿体ない精神の発揮場所は、時代とともに考えなくては、・・・・ならんかな。
 つづく。


 猛暑には 水 一つ