10月18日 木曜日
大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
この年になると 来客が嬉しい と言う セリフ
2日連続するとは、珍しい事である。
昨日も一昨日に続き、自宅で酒を飲み、食事をとったのだ。
新聞の読み残しを読んでから、テレビのニュースを見た。
例の尼崎の、何ともオゾマシイ事件のニュースが、どのチャンネルも熱い。
仕方なく、録画番組に切り替える。
番組内のセリフか、宣伝のセリフかハッキリしないが、
「この年になると 来客が嬉しい」
なる言葉が飛び込んで来た。
今、勝俣部長の集合住宅には(360戸)、・・・・老人クラブの集計によれば、30世帯近くの独居者がいるそうである。
(クラブに入って無い人もいるから更に多いと思う)
勿論、私もその一人である。
「来客が嬉しい」なる言葉を、自分のこととして考えて見る。
まあ、私の場合、今もってサラリーマン現役生であるから、日常の会話に事欠く事は無い。
これが仕事を離れ、家族は離れ、適当な仲間もいないとしたら、多分、会話に飢えると思う。
「来客が嬉しい」なる言葉の裏には、会話の出来る事が嬉しい、・・・・がある。
だとすると、年寄りの必要条件は、
「あの人と 話すのは 楽しい」
と思わせる術となる。
ところが、
「あの人と 話すのは 全く楽しく無い 苦痛である」
こうなってしまう事はよくある。
その最たる犯人は、愚痴話しである。
だとすると、年寄りの極限的必要条件は、愚痴を言わないこととなる。
それにしても、おいらの愚痴を聞いてくれる人、何処にいねえけ、・・・・。
つづく。