9月11日 火曜日
大切な事(健康)は 手遅れになってから 分かる
音楽を聞く では無く 音楽が在る 風景
音楽と来れば、「聞く」が、まあ、相場である。
勝俣部長、いつ頃かはハッキリしないが、「聞く」では無しに、音楽が「在る」を意識し出している。
多分、独居生活になってからの事に違い無い。
絵や花などと同じで、音楽が、部屋に在るか無いかである。
家族と言えども、集団生活だから、自分勝手が全てに許される訳では無い。
嫌な絵なら見なければ済むが、音は否応なしに、耳に飛び込んでしまう。
私の場合、その音楽は、クラシックがとても落ち着く。
自分流に言うと、クラシッ音楽は、聞くのは結構エネルギーを使うが、部屋に在るのは、・・・・別に、「耳を澄ませる」必要が無いから、
・気楽であり
・高級な部屋の飾り物になり
・妙に心が落ち着く
そんな効果があるように思う。
普通の日は仕事で居ないから、土日の朝から、小さな音で流す。
誰の曲かとか、題名とかは、一切追いかけない。
今日は、左のCDから聞こうとか、今日は、引き出しのCDにしようなどと、実にいい加減、・・・・イヤ 良い加減である。
これが実にいい。
当ブログに、有無を言わさず、何回か登場して貰っている「兄妹」がいる。
小さいながら、銀座に事務所を持っているから、仕事の時間調整を兼ねて、ときどきお邪魔する。
いつ頃からか、小さな音量で、クラシックが流れるようになった。
「俺の 真似 しやがって」
と、内心、心地善かったが、察するに、妹君の演出に違い無い。
他の人はどう思うか分からないが、事務所の飾りとして、実にいい。
銀座の、小さな事務所の「音楽の在る風景」、・・・・大きな風景である。
音楽は聞くのもいいが、在るのが、なぜか、もっと贅沢に思えて仕方が無い、・・・・。
つづく。