8月13日 火曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
施 餓 鬼(セ ガ キ)
昨日(13日)、勝俣部長、施餓鬼(供養)に出席した。
我が菩提寺、3年ほど前から施餓鬼を行っているようだが、遠くに住む檀家の私は、今回始めて連絡を受けた。
檀家の区訳を見ると、いわゆる「部落(町名)別」である。
差し詰め、今の住まいなら、私は
・南区白幡
となる。
田舎のお寺は、村内単位であるから、今住む「白幡」は、当然無い。
だから私の区訳は、「外部」とあった。
死者に対する様々な風習は、それだけ、その地に厳然と済んで居る人達の風習だ、と言う事であろう、・・・・。
およそ、70〜80人の男女が集まった。
思った通り、若者は居ない。
顔見知りも何人かいたので、その内の一人に、ところで「施餓鬼」とは何かを、・・・・教えて貰おうと聞いて見た。
「それが 私には よく 分からない のです」
「連絡が あったから 出席してるのですが」
考えたら私も、よく意味分からず来たのだ。
これでは良く無いと、今朝、国語辞典を引いた。
「施餓鬼:弔ってくれる人の無い 死者に対する供養」
凡句楽流に翻訳すると、
・お盆に坊さんが 檀家回りして供養するのは 誰の供養かはっきりしている
・ただ、お寺には 途絶えた家の霊も沢山あろう
・飢饉に倒れた霊もあろう
坊さんが、各家に行って弔うのでは無く、・・・・檀家の皆さんが、お寺に集まり、
・自分の先祖代々は 勿論の事
・誰一人として 弔ってくれる事のない霊まで、
皆で弔いましょう、・・・・これが、勝俣流「大施餓鬼(供養)」の理解である。
お坊さんに聞いて見た、
「ええ 一軒一軒 回ってられませんので ましてや 勝俣さんの 浦和はとても無理ですし」
施餓鬼供養、一律、一軒「○○円」、面倒無く集まるシステムでもある、・・・・てな理解も、何処かにな、・・・・。
こんな理解も、若いお坊さんの、現在版「施餓鬼」であろうか、・・・・。
・48才で急逝した奥様
・62才で果てた長姉様
・そして52才の母上様 74才の父上様
・連綿と続くご先祖様
お盆ですよ、・・・・お久し振りです。
まあ、先ず「単なる水」でも如何です、・・・・。
つづく。