3月15日 木曜日
(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
歌 を 忘 れ た カ ナ リ ヤ
勝俣部長の子供の時代、・・・・家庭は
・家族全部で
・食事を
食べるところであった。
言葉を変えると、家庭は、
・食事を作る、場であった。
カナリヤ達は、何処も貧しかったが、本来の歌を、高らかに、歌っていた。
「作る喜び」が、あったのだ。
時代は、大半の家庭を、「食べる喜び」に変えた。
歌を忘れちまった、カナリヤ達も、かなり居るに違い無い。
・まな板の無い家庭
・包丁の無い家庭
・台所洗剤でお米を洗う時代
歌を忘れ、変わって、表舞台に現れたのが、「安さ」と「美味しさ」を求めて・・・・だ。
テレビ番組が後押しし、インターネットが手を差し伸べてくれる。
電車に乗っても、どこかのスポンサーが、教えてくれる。
カナリヤ達は、安さを「人生最大の喜び」として、邁進中・・・・。
言い方を変える。
・作る喜びは、・・・・作り出す喜びは、・・・・ボケ防止の喜び
・食べる喜びは、・・・・食べるだけの喜びは、・・・・実は、ボケ促進の悲しみ
カナリヤは、「たまに」、でいいから、歌ってこそ「何ぼ」のモノだ、に、・・・・早く気付いて欲しい、・・・・そんな気がして、仕方が無い。
水を飲む。
つづく。