勝俣部長の「高尾登山と健康体質作り」470・・・・高齢化の中の痛快さ

2月3日 金曜日 節分

                            



(「単なる水」こそ、永遠なるサプリ)
優しく無い 事が 優 し い


 助け合い、いたわりあい、触れ合い、・・・・高齢化社会に突入した、キーワードである。
 どれも、とても大切な精神だ。
 ただ、へそ曲がりを自認する、勝俣部長は、一言、言いたい。
 この、崇高なる精神は、助けてあげる方から、いたわってあげる方から、触れ合ってあげる方からの、精神である。
 この精神に、乗船するか否かの、受ける側の精神によっては、悪臭を放つ事もある。
 勝俣部長は、今、前期から、中期高齢者に入りつつある。
 詰りは、なになにして「もらう」側に、立ってしまった。
 そこで、「もらう」側の立場で、「もらう」側の人達に言いたい。
  ・簡単に、た易く、・・・・なになにして「もらうな」、である
  ・全てを自分で為せ、である
  ・むしろ勾配のキツイ坂を選択しろ、である
  ・むしろバリヤーの高い事を喜べ、である
 一言で言うと、甘えるな、である。
 高齢化に向っての、「ほのぼのキーワード」は、本当に助けを求めている皆さんに、差し上げて、少々のハンデキャップ程度なら、自分で為せ、の精神である。
 表現的に言うと、「高齢化社会に生きる」とした場合、・・・・「高齢化社会」と、「生きる」の間に、「痛快」を入れるべきだ。
 助け合い、いたわりあい、触れ合いなどは、・・・・限りなく遠くの風景にしておいて、
  「高齢化社会を 痛快 に 生きる」
 自分で為す事が、人生の痛快さである。
 痛快さよ、いついまでも、いつまでも、・・・・。
 「単なる水」が、痛快さを支えてくれる。
 つづく。

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